Top / 159 参議院 共生社会に関する調査会 6号 平成16年05月12日

○中原爽君
 自由民主党の中原爽でございます。
 それでは、着席のまま発言をさせていただきます。
 これまでの調査研究によって、障害者の社会復帰、自立支援にかかわります幾つかの論点、視点が見えてきたとは思いますけれども、私なりの意見を一応述べさせていただきます。
 従来の障害者関係施設は、障害のある人々が施設あるいは病院等に入所することによって、心身にかかわります安全性と安心感を得るような生活を保障するということに主に視点が置かれておりました。しかし今後は、施設等の入所の生活ではなく、障害のある人々の社会復帰、自立支援を考える方策であれば、何よりも本人方の状況に基づき、できる限り地域社会における自立をした生活基盤の確保と社会参加を支援するということが地域社会の政策課題になるものと考えます。
 このためには、施設、病院等からの退所あるいは退院した障害のある人々が地域社会での生活を確保する受皿になるべき雇用と就業の場を可能な限り保障し、受動的な福祉の就労から能動的な企業等への就労への移行を推進するということが必要であります。障害のある人々の自立的な社会参加を推進し、障害のあるあるいはなしにかかわらず、ひとしく個人の人格と個性が尊重される共生社会の実現を目標とすべきであります。
 この社会の実現にかかわり、幾つかの論点を申し上げたいと思います。
 まず第一に、施設内から地域社会への生活の円滑な移行であります。
 障害のある人々が施設内の生活から地域に出ていくためには、施設管理者の理解と出所にかかわります支援が必要であります。また、地域を管轄する行政も、障害のある人々の地域での恒久的な生活を支援するための受皿として、その地域に根付いた住宅等の生活の場の確保及び日常生活に対する行政サービスが必要であります。
 現在、各地域行政、公共団体は、国の例の三位一体体制によって補助金等の削減という財政面での問題を抱えていますが、障害者支援と地域行政等のかかわりを考えるのであれば、国においても共生社会の実現に対する一定の配慮が必要であると考えます。
 第二に、地域に出た障害のある人々が生活基盤を確保するためには、これまでの福祉的な就労ではなく、地域社会における恒常的な就労が不可欠であります。
 地域行政と公共団体は、障害者福祉施設の拡充など、そのほかに障害のある人々の就労にかかわる雇用問題を地域の中に存在をしております企業とともに考えていかなければならないと思います。障害者支援の問題を地域における雇用問題として考えてとらえれば、この問題が地域全体の、その地域の商業あるいは農業などの発展につながっていく可能性があると思います。この意味では、地域の障害者福祉施設は障害の程度によって本当にその障害者施設に入所が必要な人々のためだけのものとして考えることもできます。
 今回の参考人の意見聴取では、地域の農業などの一次産業の障害者受入れが今後障害のある人々の自立に大いに役立つ可能性があり、地域行政にあっては農地の取得制限の緩和など制度的な見直しとその推進を検討すべきであると考えます。
 また、地域企業での雇用についても、いろいろな職種がありますけれども、その職種に応じた在宅での就業、あるいは在宅就業の中で自営業に移行できるような形の自営業化などの推進が図られるべきではないでしょうか。
 第三に、教育上の問題でありますが、幼児期から、障害のある子とない子供たちがともに共生にかかわります感覚を育成するための社会的な統合に向けた教育が必要であると考えます。
 障害のある児童生徒は、将来、社会参加ができるような自立性と能力を可能な限り伸ばすための個性に応じた多様あるいはかつきめ細かい教育が行われなければならないと思います。また、この教育は子供たちのそれぞれの年齢の段階と心身の発達に対応した教育を行うことが必要であります。
 このためには、障害児の学級の子供たちが一般的な学級や学校の学習に参加するなど、教育上の交流の推進とその推進のための位置付けを明確にするということが必要であります。同時に、一般的な学級、学校においても、障害者福祉にかかわる総合的な教育を行うことにより障害のある子供とない子供、各々が互いの個性を認め助け合うような共生的、社会的な共生の感覚を育成することが必要であります。
 第四には、LD、ADHDあるいは高機能の自閉症の児童生徒に対する教育現場での支援強化への対応であります。
 これら心身の状況について特に支援を必要とする子供たちは、通常学級の中にも一定比率で現在も在籍している、存在している傾向が指摘されているところであります。このように、特別の心的、心の傾向を持つ児童生徒の発見と支援が急務であり、精神科医の方々の専門家による現場の教員と学校に対する支援に加えて、このことに対するその現場での教員のレベルの向上などの対策を講ずる必要があります。
 なお、この心的、心の問題と精神的状況の児童生徒、それから登校拒否等の問題行動の関係については、国としても適正な調査を実施して、周辺の人々の偏見や独断的な対応を防止するということが責務であろうと考えます。
 最後に、社会、国民の意識の啓発でありますけれども、障害のある人々、特に精神面での障害のある人の自立と社会参加を阻む最大の障壁は、実際は周囲の人々の偏見と無理解にあることは今回の参考人からつとに指摘をされたところであります。障害特性に対して正しい知識を育成するためには、人的な、人としての偏見のバリアをなくするということが第一歩でなければなりません。国は、共生社会の実現に向けて可能な限りの意識の啓発のための教育的な対応と情報公開を行う必要があると考えます。
 概略、以上が私の意見でございますが、申し上げた内容は障害者の自立と社会参加における論点の一部にすぎないと思います。本日のこの自由討議において同僚議員の、更なる議員の議論の御期待を申し上げて私の意見発表といたします。
 ありがとうございます。

○羽田雄一郎君
 民主党・新緑風会の羽田雄一郎でございます。
 障害者の自立と社会参加に向けて、参考人の方の意見や政府の説明を聞き、私たちは議論を深めてまいりました。ともに生きる社会構築のためには超党派で一つのことに向かい、現場の声や当事者の声を聞き、参考にし、省庁横断的な議論をしてまとめていくことの必要性を強く感じています。
 二十世紀は戦争の世紀であったとか高度成長期であったとか言われてきましたが、地域社会の中で差別や偏見があり、いろいろな場面で隔離政策が取られてきたと言っても過言ではないでしょう。二十一世紀に入って、平和の世紀にしよう、人権の世紀にしよう、安心、安全、心の時代をと言われておりますが、平和も安心、安全も崩れているのが今の現状ではないでしょうか。
 そんな中で、障害を持つ人、健常者と言われる人、また子供からお年寄りまですべての人が安心して豊かな心を持ち、住んでいける地域社会をどのようにして構築していくのかが問われていると考えます。一般的に社会生活をしていく中で、障害を持つ人と出会う機会は昔も今も少ないような気がします。
 私は、中学生のころまで何も不自由なく、そして不自由を感じている人といえば半身麻痺であった祖父ぐらいでありました。自分たちが住んでいるところがどれだけ不自由であるか、また不親切な町であるか、バリアフリーとかユニバーサルデザインの町づくりなどということを考えもしませんでした。
 高校がキリスト教の学校だったことや意識の高い仲間がいたことによって初めていろいろなことを考え始めました。高校、大学時代にはハンセン病によって隔離政策が取られてきた施設の話をそこに研修に行った仲間、高校生の仲間から聞いたり、自立のための共同作業所を見学させていただいたり、知的障害のある人たちがともに生き、そこから地域に働きに出ている場所を見せていただいたり、障害のあるなしに関係なく一緒に通園し過ごしている幼稚園に行ってボランティアをさせていただいたり、障害を持つ青少年たちの中にも、特別扱いされることによってわがままややりたい放題、親を困らせ、我々ボランティアととことん話し、けんかする中からチャレンジする心を持った仲間も身近に見てまいりました。
 私が言いたいことは、ふだんから当たり前のように受け入れられる社会を作らなければ、要らぬ隔離をしたり特別扱いをしたり、どう接してよいのか分からないという言葉が出てしまうのではないかということです。幼稚園や保育園は普通に友達と通園していたのに、小学校に一緒に友達と行きたいと思ったら小学校では受け入れられませんと言われて、子供に何と説明し納得させればいいんでしょうかという親の声を私たちは聞きます。チャレンジドとして、受けるだけでなく、納税者になりたいんだという声を私たちは聞きます。
 我々共生社会調査会は、障害者基本計画の基本方針である障害の有無にかかわらず、国民だれもが相互に人格と個性を尊重し合える共生社会を目指し、すべての人が自己選択と自己決定によって社会のあらゆる活動に参画するとともに、社会の一員としてその責任を分担できるような社会を目指したいものだと考えます。
 このことを議題とするごとに出てくることであり、大切なこととして、まず一人一人の意識を変えることが一番であると。そのためには、やはり幼稚園や保育園に始まり、義務教育である小中学校には求めれば障害の有無にもかかわらず、だれもが選択して通うことができるようにすることが必要であると考えます。
 ここで、五月十日に朝日新聞に載りました、新聞を御紹介をさせていただきたいと思います。高三の障害者の進学サポート、ボランティアら音訳、点訳ということで、河和旦さん十八歳、今大学進学を目指して頑張っておりますけれども、この河和さんは、幼いころから強度の弱視で、右の目の視力がない。左の目は視野の範囲は二十度程度、わずかに視力が残るのみ。脳性麻痺によって左手、左足も不自由な状態。しかし、幼いころから、障害があっても健常者に交じって自分の世界を広げたいという思いが強かったそうです。小学校時代は、盲学校に通学しながら、週一回地元の小学校に通い、音楽会などにも参加。地元中学の普通学級に入学し、高校も一度は都内の盲学校に入学しましたが、先生の反対を押し切って約十か月で自主退学。そして公立の高校を受験し、合格を果たした人であります。そして、彼が望んでいる、そして目標にしているのは、日本初の盲聾大学生となり、現在は福祉の研究に取り組む福島東大助教授が彼の目標であり、自分も障害者と健常者がともに学べる社会の実現に取り組みたい、それが支援してくれた人への恩返しにもなると思っていますと語っております。
 日常的に個性を持った一人一人が、一人一人の個性や人格を認め合いながら生活をする。急に大人になってから共生社会だから尊重し合って支え合ってと言われても、接する方法が分からないということでは前に進んでいかないんであろうと考えます。現在も、学校や企業、社会活動の中で、車いす体験や目隠し体験、ヘッドホンを付けての体験など、学習という形ではいろいろな形で行われる場面はございますけれども、自分自身のこととして受け止めている人はどれだけいるのでしょうか。少なくとも、今社会で生きていて不自由さを感じない人も必ず生きていく中で不自由は感じるはずであり、ともに生きることにより早く一人一人が気付く、気付き合う社会ができることを願っております。  政治家は、願いをかなえ、将来に夢や希望の持てる社会を作り、実現することが仕事であります。共生社会調査会では、なかなか目に留まらないような、しかし生きる者として一番大切な部分を議論してきていると感じております。我々の議論が日の目を見て、社会に浸透していくよう努めていきたいものです。
 まとまりませんが、意見発表を終わらせていただきます。

○山本香苗君
 公明党の山本香苗です。
 障害者の自立と社会参加というテーマを扱いまして、今回で二回目となりました。  障害のあるなしにかかわらず、だれもが自由に安心して暮らせる共生社会、ユニバーサル社会、それを構築したいという思いで今回共生社会の委員の皆様方ともその思いを共有してきたわけでございますが、今回も参考人の方々から、障害者を取り巻く現状、課題、それぞれについて大変貴重な御意見をいただけたんではないかと思っております。中でも、特に先ほど来からお話の中に出ておりますが、障害の有無にかかわらず、幼いころからともに助け合いながら生きていくという共生の感覚を育てていくためにはどうしたらいいのかということにつきまして、大変示唆に富んだお話を伺えたのではないかと思っております。  大阪の大東市からお越しになられました山本参考人は、御自身の経験から、ノーマライゼーションを推進する上で障壁となる要因の一つとして、健常者、障害者が体験してきた社会環境、すなわち分離してきたような社会環境があることを挙げられて、極論かもしれないけれども、養護学校は差別教育だと思っておりますと言われました。今なおこの言葉が私の心にはずしんと重くのし掛かっているわけでございますけれども。  文部科学省におきまして、平成十五年三月に、これからの特別支援教育の在り方と題する最終報告が取りまとめられました。障害児を養護学校と通常の学校ではない特別な場所に分離して指導する特殊教育から、通常学校で一人一人の障害の状態に応じたきめの細かな教育へと転換するための大幅な制度的見直しが提言されているわけでございますが、今後この提言を踏まえて様々な改革が行われることになります。これが果たして着実に共生への歩みとなるのかどうか、今後これをしっかりとフォローしていきたいと考えております。  このほか、ADHD、LD、自閉症など発達障害についてもその現状と課題について学ばせていただきましたけれども、発達障害につきましては、少しずつ社会的に認識されてきているとはいえ、法律上その支援の位置付けが明確ではございません。福祉と教育のはざまともよく言われますが、早急にこの福祉と教育の分野との連携を深め、強固な支援体制を整備していくことが必要です。  こうした認識から、我が党は党内に発達障害者・児支援を考えるワーキングチームというものを昨年設置しておりまして、早期発見から、教育、生活、就労に至る総合的な支援の柱となります発達障害者支援法案を作って、現在鋭意その内容を具体的な検討を進めているところでございまして、是非ともこうしたものを皆様方のお力もいただきまして成立できればと考えております。  次に、地域での自立生活を支援することにつきまして、昨年四月から実施されております障害者基本計画、ここにおきましては、施設に偏っていた障害者の生活の場を地域に移す方針が明確に出されたわけでございます。施設から地域生活への移行と、この流れは世界的なもので、スウェーデンでは入所施設が既にもうゼロだというお話が三田参考人からございましたけれども、我が国におきましては、障害者が地域で普通に暮らせるための受皿、先ほどもお話がありましたけれども、まだまだ不十分であります。そのために、この流れが大きなものとなっているというのは言い難い状況にございます。  障害者一人一人が社会に参加しているという自信を持って、一人一人の能力に合わせた雇用と生活支援を今後どのようにして行っていくのか。財政も厳しい折ではございますが、国、地方自治体、企業、地域住民の総合的な取組を構築していくなど課題は山積みではありますけれども、障害者の意思決定を尊重しながら、障害者の能力を引き出しながらこの流れを進めていきたいと思っております。  その中で、特に今問題となっておりますけれども、障害者の自立支援の場として重要な小規模作業所、この小規模作業所への国の支援についてはしっかり増やしていく方向で頑張っていきたいと思っております。  ともあれ、こうした環境整備とともに、というか、その前提といたしまして、障害者への不当な差別を法的に禁止することが何としても必要だなということを痛感しております。  障害の有無にかかわらず、だれもが自由に安心して暮らせるユニバーサル社会の実現を目指して、あらゆる場面において障害者の差別を禁止する法律の成立が必要であることは言うまでもございません。現在、この差別禁止の法制化に向けた第一段階として障害者基本法改正案が提出されておりますが、この改正を早期に目指すとともに、ユニバーサル社会形成推進基本法の法制化を視野に入れながら、一人を大切にする人間主義の社会の構築に全力で取り組んでまいりたいと思っております。  以上でございます。

○林紀子君
 日本共産党の林紀子でございます。
 この調査会では障害者の自立と社会参加について調査を進めてまいりましたが、おいでいただきました参考人が、それぞれ権利の主体となって障害者が生きることができる社会を作ることが必要だと述べられました。そのとおりだと思います。  そして、私は最近、障害者に対する差別とはどういうものか、ある弁護士さんがこうおっしゃっておりました。障害を理由に不利益な取扱いをすることだけが差別ではない、障害のある人が社会参加をする上で社会の側がすべき必要な配慮を行わないことも差別、自分の努力で社会に入ってくださいというだけでは障害のある人は社会に参加できない、この言葉もそのとおりではないでしょうか。そして、特に行政が必要な配慮をすることが政治の課題として求められます。  政府からは、自立と社会参加の基礎は地域生活支援がキーワードであり、その地域生活支援の具体策の柱の一つとして、昨年度から措置制度に代わって支援費制度が施行されたと説明がありました。しかし、支援費制度が実施されてから一年もたたない昨年度末、予算不足が大きな問題となりました。ホームヘルプサービスに必要な予算が百億円余りも下回る二百七十八億円しか組まれていなかったという問題です。本調査会で論議をした三月までにはやりくりをして必要額は確保したという政府の答弁がありましたが、結局十四億円が不足のままとなっていたということです。今年度予算もホームヘルプサービスに三百四十二億円しか計上していないので、昨年並みの利用でも既に四十億円余りが不足することになります。  この予算不足を解消する方策として、介護保険の見直し検討作業の中で、障害者支援費との統合が急浮上しているということですが、財源も仕組みも全く異なる二つの制度を統合することは、更に矛盾を深め、問題点を大きくするだけです。坂口厚生労働大臣も委員会で認めていらっしゃいましたが、ホームヘルプサービスは地域生活支援の中でも一番要望の多いところ、要望にこたえるだけの支援費予算を計上し、国として責任を持つべきだと思います。  また、障害者の自立にとって働く場の問題というのは非常に大きいものがあります。企業の雇用率は一・四八%だという政府の説明がありましたが、不況の厳しさは真っ先に障害者を直撃します。  障害者が働きながら人間として成長していく小規模作業所の重要性は昨年の調査でも参考人から強調されましたが、小規模作業所は増え続け、現在、六千か所以上、約九万人の人が通所をしております。そして、国庫補助は一か所当たり一年たった百十万円しかありませんでしたが、さらに昨年から前年比一割カットするというのは余りにひどい仕打ちではないでしょうか。小規模作業所を小規模通所授産施設に引き上げていくという答弁もありましたが、ここへの補助金は年千百万円、これもまた一千五十万円に減額するというやり方です。  この四月の二十二日には、関係障害者団体が総結集して、障害者本人も含めた七千人が東京に集まり、国庫補助制度を後退させないでほしいと訴え、私もその要請書を受け取りました。政府はこの願いを真摯に受け止めるべきです。今年度の障害者福祉予算は五千億円余り、GDP比で〇・一%にすぎません。障害者の自立と社会参加を掛け声だけの絵にかいたもちに終わらせないためには、この予算を引き上げていくことが何よりも求められます。  そして、障害者の教育の問題についても申し上げたいと思います。  現在、障害児として教育を受けている義務教育段階の子供たちは十七万二千人、全体の一・六%という説明が、これも文部科学省からありました。今回新たにLD、ADHD、高機能自閉障害などの軽度発達障害の子供たちに教育支援を行う方向を打ち出したことは評価できることです。  こうした子供は全体の六%程度、義務教育段階で六十数万人と推計されています。しかし、文部科学省の構想では、既存の人的、物的資源の配分の見直しはしても、先生の数を増やすなど新しい措置を取ることは考えていません。  通常の学級でニーズにこたえた教育を進めるためには、ここでも予算も人員も増やすべきだと申し上げまして、意見の発表を終わります。

○会長(狩野安君)
 ありがとうございました。
 次に、お手元のテーマに沿って委員相互間の意見交換を行います。  御意見のある方は挙手をしていただき、会長の指名を待って発言されますようお願いいたします。  なお、多くの方が御発言できますよう、一回の発言はおおむね三分程度とさせていただきたいと思います。  まず最初に、共生の感覚の育成について御意見のある方は挙手をお願いいたします。

○神本美恵子君
 民主党の神本美恵子でございます。
 この共生社会に関する調査会では、この障害者の問題については、障害の有無にかかわらず、一人の人間としてその人権、人格が尊重され、社会の一員として個性と能力が発揮できる社会、それがともに生きる社会として、その実現を目指して論議が進められてきたと思います。  一九九四年、サラマンカで行われたいわゆるインクルーシブ教育宣言とも言われる、一般にサラマンカ宣言と言われるんですが、その中では、「特別な教育ニーズを有する人びとは、そのニーズに見合った教育を行えるような子ども中心の普通学校にアクセスしなければならない。」というふうにしております。このとき初めて、ただ障害児といわゆる健常児と言われる人たちが統合されるだけではなくて、統合される社会そのものが変わらなければ真の統合にならないということが明確に意識されております。  このときの教育ニーズというのは、障害者の障害を理由とするニーズ、そのニーズを社会、ここで言えば学校やクラスが受け止めて、この社会がニーズを満たすように変わることが求められているというふうに受け止められると思います。  ところが、今の日本の教育制度の現状を見ますと、これは改めて読み直してみたんですが、学校教育法七十一条を読んでみますと、盲・聾・養護学校は、それぞれ盲、聾、知的、肢体不自由、病弱者に対して、幼、小、中、高校に準ずる教育を施し、併せてその欠陥を補うために必要な知識技能を授けることを目的とするというような条文になっております。  この中で言われている、施し、欠陥を補うために教育を授けるというこの認識から見ましてもよく分かるように、また七十一条の二や七十四条では心身の故障の程度という、障害児、障害者に対して心身の故障という認識が如実に表れていることから分かるように、障害者というとらえ方が、心身に故障があるのでその欠陥を補うために特別な場を設けて特別な教育、準ずる教育を施すというようになっております。今の日本の教育制度における障害児を分離した分離教育は、単なる分離という問題だけではなくて、隔離されている、隔離ということによって差別意識を助長、再生産しているのではないかというふうに思います。  このテーマであります共生の感覚の育成についてということにつきましては、是非とも原則統合ということを是非大前提にして、その上で、本人や保護者が選択できる、選択をした場合には、選択したところの教育の場が十全に特別なニーズを満たすことができるような条件整備をすることが国及び設置者の責務であるということを明確にしないことには、共生社会というのは実現しないのではないかというふうに思います。  最後に、このような制度になぜ日本がなったままなのかということで、私は自分の経験からも、障害児とともに学習をしてきて自分自身の教育観が本当にがらがらと音を、崩れていくことを実感しました。それは何かというと、教育の効率主義あるいは能力主義、それに基づく教育観では障害者とともに学ぶ場は作ることができません。行き過ぎた効率主義や能力主義、競争主義を是非とも是正する、そういった社会にしていくためにも、原則統合の教育制度に変えていくこと、その実態を作っていくことが急務ではないかというふうに思います。  以上です。

○岡崎トミ子君
 ありがとうございます。
 今日は、各党の皆さんたちが代表されて意見を発表していただきまして、本当にありがとうございます。  私の手元には羽田さんの意見発表がちょっとメモとしてありますので、この中で、ふだんから当たり前のように受け入れられる社会を作らなければ、要らぬ隔離をしたり特別な扱いをしたり、どう接していいか分からないという言葉が出てしまうのではないかという、この言葉に、私は今の学校教育の在り方とか、社会の中で本当に障害を持つ人たちが悲しい思いをしたり、本当に社会参加や自立ができない現状があるな、非常にだれにでも受け入れられやすい、分かりやすい言葉で表現していただいたなというふうに思っています。  そして、今の神本さんの意見発表にもありますように、こういうことは結局分け隔てられることのない学校教育を原則にしてほしいという、そういうことがまず根本にあるんだなというふうに思うんです。学校の中でともに学び、ともに育つということがなければ、社会の中に出てともに共生の社会を作っていくという、こういうふうになかなかなりにくいということだというふうに私は思っています。  実は、五月八日に障害を持つ人たちが全国集会を開かれまして、五月十日月曜日には国会においでになって、障害者基本法、この改定に向けての要請というのをいただきました。それが私はこのまま国会の中で受け入れられるように私たちは頑張りますけれども、多分それがそのとおりの文章にはならないというふうに思いますので、その思いを是非この共生社会調査会に託したいと思いますので、どういうことを要望されたのか、二つ挙げたいと思います。それは、もうなかなか修正というのは難しいので、附帯決議の中にでも入れてほしいという、そういう願いでした。  それは、障害者があらゆる活動に際して分け隔てられることなく参加する権利を有することを旨として取り組んでいっていただきたいということが一つ。そしてもう一つは、普通学級にすべての子供を在籍させる。つまり、今の公立の小学校、中学校というところにすべての子供たちが入学できるようにしてほしいという、インクルーシブな教育というふうにありますけれども、つまり、これは日本語に訳しちゃうと包括となりますから、包括というと何だろうということになりますので、暮らしていけるところまで、地域社会の中で受け入れてもらえるまで、つまり、結局のところは就労の問題や、あるいは所得保障の問題や町の中での住宅の問題や、それから、地域の中で市民が本当にどのように協力してやっていってくれるのかという、伊達市の市長が五つの提案があるというふうにおっしゃって、こういうことを実行していくのが大事だというふうに言われた、そういうことが地域社会の中でどう受け入れられていくのか、その根本的なものを作っていくためには、この当たり前だという、分けないことを原則にしていってほしいということだというふうに思います。  その分け隔てられることのない教育を目指すということ、それから、そういうことを選択する。私たちは、私たちでも選択をし、そして自己実現をするにはどうするかということを言っているわけですけれども、障害を持つ人たち、すべての人たちにとっても、あらゆる選択をし、そしてその自己実現ができる、その社会のお手伝いをするのが私ども議会人の役割ではないかというふうに思いまして、そのための教育環境の整備ということに最大限努力をしていかなければいけないのではないかということを申し上げたいと思います。  以上です。

○森ゆうこ君
 共生の感覚の育成について、まず私の意見を述べさせていただきたいと思います。  日常感の欠如が偏見やそして差別を生むということを、私は子供のときに、たしか国語の教科書だったと思うんですけれども、そういうことを学びました。障害のある人もない人も、常に普通に一緒にともに暮らしていくということが大切、共生の感覚を育成する、これは本当に当たり前のことだと思いますけれども、重要ではないかと思います。今ほど岡崎委員の方からも、そして神本理事の方からも、教育の現場におけるそういう様々な障害を取り払うことについての御意見ございましたけれども、これは教育の現場におけることでありますし、我々はあらゆる場面でともに生きる、ともに何かに参加するという機会を作っていかなければならないと思っております。  その意味におきまして、実は私たちは、障害のある人、ある方たちとともに非常に有意義な時間を過ごせる、しかも感動をともに共有することができるという大変すばらしい機会を得ることができます。それは今冬行われます、長野県において行われるスペシャルオリンピックスの冬季長野大会でございます。  障害のある人たちが参加するこのスペシャルオリンピックス、これは本当に多くのボランティアの皆さんがその大会の運営すべてを支えるということで、今回の長野大会は大変大規模な世界大会になると思われます。我々はここで、本当の意味で共生する社会とは一体どのようなものなのかということを感動をもって体験できるというふうに、今の時点でもはっきりと言うことができます。  しかしながら、この長野におけるスペシャルオリンピックスの冬季大会の運営がいまだに安心して開催できるという状況になっておりません。それは財政的な面でございます。ボランティアやその会の運営に当たる人たちの活動はもう本当に活発に行われておりますが、大変大きな世界大会でございます。当然、国としてもきちんとした財政支援をやるべきであるというふうに考えております。このことにつきましても、私は当調査会でできればそういうことについての配慮をむしろ申し入れるべきではないかと思っております。  以上です。

○清水嘉与子君
 今日のテーマが共生の感覚の育成ということなんですけれども、今、先生、皆さんのお話を伺っていて、確かにこのことを進めるためにこういった議論が進んでいることに対して良かったという気持ちもするんですけれども、考えてみますれば、私たち、私たちじゃないですね、私なんか余り年齢が違うのであれですけれども、子供のころはむしろいろんな人が地域にいたんですよね、本当のところ。ですから、共生の感覚なんてわざわざ言わなくても、弱い子もいたし、それから少し異常な子、異常という、恐らく今だったら障害者と言われるような子も一緒に遊んでもいたし、普通に家庭生活をしていたんですね。ただ、いろんな制度が、仕組みがうまくいっていなかったわけですから、家族が非常にやっぱり負担を抱えながら生活していたんだと思いますね。  しかし、それが、社会がこれだけいろいろな福祉が、制度が良くなってきちんと仕組みができるようになったおかげで、逆に障害者をきちんと、何というんでしょうかね、ランクを付けてしまって、この障害者にはこういう制度、この障害者にはこういう制度、そして施設へどうぞというような形でどんどん隔離したり、あるいはもうそれの差別化を始めてしまったということが進み過ぎちゃって、そこでまた問題になってきているんじゃないかというふうに思うんですね。  前に戻せとは言いません。前に戻せとは言いませんけれども、やっぱりそれではちょっとおかしい社会になり過ぎたんじゃないかということの反省を私たち、だって、周りに本当にそういう人がいなくなっちゃっているんですよね。今お年寄りもいなくなっちゃって、子供たちがお年寄りってどんな人なのか分からなくなっちゃっているというような生活をしちゃっている、これはおかしいんじゃないかというふうに思います。  私もいろいろなところでそういった施設に伺うことが結構あるんですけれども、そういうところで、例えば精神障害者、たくさんの方々が地域に出られるようになっているというふうにみんな言っています。確かにそうですね。準備もできて、もう家庭に帰れるように準備もちゃんとしている人たちがたくさんいるけれども、今受け入れてもらえないし、それから、もう長いこと施設に入っていると帰るところもないというような状況に置かれている方がたくさんいる。こういうことをおかしいというふうに思う感覚が一般になくなっちゃっているということがやっぱり少し異常なのかなというふうに思っています。  先進諸国では、もうそういう施設を、隔離政策をどんどんやめて在宅に進めようということを、普通の生活ができるようにしようと。これは恐らく財政的な問題もあると思うんですけれども、やっぱりそういう政策がどんどん進んでいるわけですよね。私たちもそのことを考えながら、今どうやって地域に戻していくのかということももう少し具体的に進めるように考えていかなきゃいけないんじゃないかというふうに思います。なかなか施設を見に行くとか精神病院を見に行くなんといっても見に行けない。ちょっとバリアがまだ高いかもしれませんけれども、もっとやっぱりオープンにして、そういうところにも、見に行くというのはちょっと失礼ですね、見に行くというのはとても失礼なことですけれども、一緒にやっぱり生活できるような状況を少しでも作り出していくということが必要なんじゃないかなというふうに思っております。  それから、先ほどから出ておりました精神障害者の基本法、障害者基本法の改正、これは私たちもこの調査会で議論を始めたときにいろんな方々が訴えられて、やっぱりこれが必要なんじゃないかということを随分議論したと思います。今日、衆議院の内閣委員会で通ったということを伺っていますので、参議院にいよいよ、この場で、ここでできれば一番よかったんですけれども、内閣委員会に恐らく行くんだろうと思いますけれども、まあ第一歩なんでしょうね、障害者についての差別をしてはいけないというようなことが明記されていますし。  ただ、ここに書いてあることはかなりいいこと書いてあるんですけれども、これが本当に実現していくという、こういう法律があってこういう内容なんだよということをもっとやっぱり本当に本気になって広めていかないと、ただ作ったはいいけれどもということになりかねないなという気がしておりますので、私たちがまず率先してそういうことを広めていく役割も担っていかなきゃいけないかなというふうに思っているところでございます。  以上です。

○林紀子君
 先ほどからサラマンカ宣言の問題が出ておりますので、私もそれについて一言申し上げたいと思います。  サラマンカ宣言の、すべての子供は教育への権利を有しており、満足のいく水準の学習を達成し、維持する機会を与えられなければならないというこの基本的な精神とか、差別的な態度と闘うというこの姿勢は非常に積極的な意義を持つものだと思います。しかし、サラマンカ宣言でも特別な学校というのも位置付けられているわけですね。この特別な学校というのは、インクルーシブな学校の発展にとって非常に有益な資源であり、通常学級や通常学校の中で十分に教育を受けられないような障害を持つ子供たちに最も適切な教育を提供し続けていると位置付けられています。  日本でも、養護学校の不就労をなくす取組の中で、以前には発達しないとまで言われていた重症心身障害児も学習も発達もできるんだということが教育実践の中ではっきりしてきました。これは長い歴史の中で関係者がいろいろな努力を重ねてきた中で作り上げられた財産ではないかと思うのです。  最も大切なことは、障害を持つ子供の基本的人権を根幹に据えて、障害によって発生する困難や必要に最も適切な対応ができる体制を作ることだと思います。ですから、通常の学級での特別な支援と障害児学校、学級の拡充、これを両方とも推進をしていくということが非常に必要なことではないかと考える次第です。

○会長(狩野安君)
 ありがとうございました。  他にございませんか。  では、次に移させていただきます。  それでは、地域生活支援について御意見のある方は挙手をお願いいたします。

○中原爽君
 私、先ほど、地域の障害者の福祉施設について、障害の程度によって本当に施設に入所が必要な人々の施設に限定するべきだということをちょっと申し上げたんですけれども、このことについて花園大学の三田参考人は、先進諸国においては、特にこの障害者の中の知的障害者の入所施設については諸外国では減少傾向にあるんだと、ところが逆に日本は増え続けているということをおっしゃっておられまして、この点をどうするかということが一つ。ところが、宮城県の知事さんは、宮城県ではこの知的障害者施設を、みやぎ知的障害者施設解体宣言をおっしゃっておられるわけですね。一方では解体宣言を、欧米並みに進めたいんだというふうに言われる、ところが現実はこの施設が増え続けている傾向があると。ところが、もう一つ、北海道の伊達市長さんは、昭和四十三年から伊達市ではきちっとした障害者、知的障害者の施設を持っていると、それを中心にしてその伊達市の中で社会へ復帰できるような体制を取っていると、こういうふうにおっしゃっておられるわけですね。
 そうすると、三通りあるわけです。施設が増え続けている場合、それから外国のようにこの知的障害施設をゼロにしようという考え、その間で、こういう施設を中心にして、そこでその周辺に対する社会的な状況を知的障害者に与えたいと、こういう考え方、三通りあると思うんですね。それをどういうふうにバランスを取っていくかというのが、本当にこの障害者の中での知的障害者に対する対応というのが必要だと思うんです。
 伊達市長さんが言っておられるのは、知的障害者も高齢化すると。その場合に、家庭では面倒を見切れなくなるし、その場合には、皆さんおっしゃっておられるように、ホームヘルパーとかそういうシステムがきちっとしていないと家庭で賄い、賄いというとおかしいんですけれども、どうしても対応できないということが出てしまうということだと思うんですね。
 そうすると、やはりある程度中心的な大きな知的障害者の施設があって、そこを中心にして、それでいろいろ周りの社会的な状況へ働いていただけるような形のものを考えていくということの方がいいかなという気がするんですけれども、これは私の個人的な意見ということでございますけれども。いろいろな、特に一番考えなきゃいけないのが知的障害者の施設ということをどうするかと、日本的にですね、そこが大事だというふうに思います。

○岡崎トミ子君
 ありがとうございます。  ただいまの御意見に関してなんですが、私たちこの共生社会調査会の中で多くの参考人の皆さんのお話を伺いましたけれども、ここに当事者というのは抜けていたというふうに思います。そして、いろんな参考人の方が代弁をしてくださったというふうには思っておりますが、そうした参考人の中からでも、やはり当事者、オンブズマンというのはすごく大切だというお話もございました。  それはなぜかといいますと、やはり知的障害者の施設の中で、本当に軽度である、あるいは中くらいである、あるいは重度であるというふうにしておりますけれども、やはり中、軽というのが一番多くいらっしゃるということだったんです。そういう方々は結構知識もおありになるということで、その施設の中で様々に働いていらっしゃいます。重度で、それで高齢であるという人たちの介助、下のお世話をしたりする、お掃除をしたりする、いろんな働きをしているんですけれども、そういうことを海外の研究者の方々に伺えば、それを人権侵害と言うという言葉で語っておられましたけれども。  つまり、そこで文字を覚えるまで施設で頑張る、この中で働けるようになるまでいろいろと鍛えて訓練してやっていく、それはやめようということを当事者の方はおっしゃっているんですね。私たちは言葉ができませんと言ったら言葉を補ってくれる、そういう人たちをもっともっと作っていってほしい、それから、体でこのことだけはできないよと言ったら、それを手伝ってくれる人たちの理解者を増やしていってほしい。そういうことを町に出て地域社会の中で暮らす中で呼び掛けていって、それが本当にノーマライゼーションにつながっていくことではないかというのが、当事者の書かれた、軽度の方の知的障害者の作文あるいは聞き取りだったというふうに思っています。  そうすると、先ほど私が申し上げましたように、その選択はどういうことが必要なのかというのを、先ほど施設をお訪ねしてというお話がありましたけれども、一番大事なのはそこで、その御意見を伺うということ、どうしたいのかを、まず選択を伺うということ。そこに選択権があるということがすごく大事で、上の方からがちっと枠にはめられたところではなかなか地域社会の中で自由にできていけない。その一歩として脱施設というのがあり、宮城のその解体宣言があるのかな、そこで本当にそういうふうに町に出て、グループホームの中でいろんな人たちとともに暮らすということの中で、伊達市長のおっしゃる市民の理解と協力、それが地域社会の中の広がりを持たせることということにつながっていくのでないかなというふうに思っております。

○会長(狩野安君)
 ありがとうございました。  他にございますか。地域生活支援については、他にございませんか。──ないようですので、それでは、その他ということで、障害者の自立と社会参加に関しまして御意見のある方は挙手をお願いいたします。

○森ゆうこ君
 ありがとうございます。  一つ、私の方で問題点といいますか、疑問な点ということを指摘させていただきたいと思うんですけれども、障害者の自立という、自分で立つという言葉について非常に誤解があるのではないか。自立するということは、障害がない人たちと同じように暮らさなければいけない、同じように、そこまで行くように頑張らなければいけないというような誤解を生じているのではないかと思われます。参考人からもそのような指摘もございました。私は、自分で立つという自立というよりも、自己決定権を含む自律的な、自分で律する、自律的な生活を送れるように周りがサポートしていくということが本当の意味での障害者の幸福につながるのではないかと思っております。  それともう一点、ユニバーサルデザインの社会作りということがありますけれども、これが、国がすべてやってしまいますと非常に画一的なものになってしまいます。  例えば、本当にこれは情けないなと思ったことがあるんですけれども、今、児童虐待の問題等で児童養護施設の受入れ体制等々、その現場での悩みを耳にする又は目にすることを先生方も多いかと思うんですけれども、私がこの児童虐待の問題に関して私の地元の児童養護施設に取材に参りましたときに、玄関でのバリアフリー化の大々的な工事が行われておりました。すばらしい工事なんですけれども、職員の方が開口一番、今この施設に必要なのはこんなものじゃないんですよと、どうして国がやることはこうなんだろうということで、ユニバーサルデザイン、バリアフリーといったらもう何でもかんでもやってしまうという、想像力が欠如しているといいますか、画一的な事業が行われているという、こういう問題点があるということを指摘させていただきたいと思います。  先ほどの障害者の地域生活支援ということにも関連するんですけれども、地方に任せてしまうと格差が生じるということがよく言われるのも存じておりますが、やはり、むしろこれからは、地方分権、地域の実情に合った地域での取組が更に促進されるような、そういう観点に立った政策というものを重点的に進めることが重要なのではないかというふうに思っております。  ありがとうございます。

○有村治子君
 先ほど森ゆうこ先生がおっしゃっていただいたように、今まで障害、特に子供さん、障害を持ったお子さんは教育の中で健常者に近づくのが本人にとってもよかろうというような前提、思い込みがある中で教育がなされてきた。  以前、私がこの共生社会に関する調査会で発言させていただいた聴覚障害を持った方々、聾学校に通われる方々、その方々もちょっと調べてみると、七十年ぐらい、少しでもあなた方は健常者に近づく方がいいだろうというような前提で聴覚口話法という教授法が取られてきた。これは、いわゆる健常者の方々に近づくには、聞こえなくても聞こえるようなことを訓練して、そして口でしゃべればいいということなんですけれども、このことによって手話を全く使っていない聾学校がいまだに五%、七%存在する、一切使っていない学校も存在するというような状況で彼らが教育をされてきた。その結果、彼らは、彼らが自由に表現をするような母語、母国語を持たないで、何とか健常者に合わせてきたという現状を見て私も非常に心痛みました。  このことについては、公明党の山本香苗先生、社民党の福島瑞穂先生、みどりの会議の高橋先生からもしっかりと、聴覚口話法以外の教授法ができるようになった方がいいというような援護射撃をいただきましたけれども、そろそろやはりその人らしさ、その人の母国語を用意できる教育という、教授法そのものを見直さなきゃいけない時期に入っているんじゃないかなというふうに思っています。このことについては、また皆様に御相談に乗っていただきたいこともあろうかというふうに思っています。  もう一つ感じたことは、先日、視覚障害を持たれた方々とミーティングをさせていただいたときに言われたんですが、駅も随分点字が増えてきましたねというふうに私が申し上げたら、そうなんですよ、でも全然使い物にならないんですということを言われて。つまり、駅ができ上がってから、その駅の切符の、空いたところ、空いたスペースに点字を取りあえず付けるという形で、そこは視覚障害でつえを持って歩かれている方の動線には全然合っていないところ、たまたま切符売場があってスペースが空いているところに取って付けるような段階で、全然低過ぎたり高過ぎたり、本当に健常者の視点にしか入っていない。しかも、最近は切符がボタン式じゃなくてこんな画面式になっていて、画面でとんとんとんと、一つの画面を選ぶと次の画面になっていくというのは何が起こっているか全く分からないということを言われて、ああ盲点だなというふうに思いました。  そういう意味では、制度設計とかシステム設計、空間設計のその設計段階から、やはり使われる当事者の意見を本当に参画していただくという視点そのものを私たちが持っていかなきゃいけないんじゃないかなというふうに思います。  蛇足なんですが、私も母親になって、今母乳で育てているんですけれども、空港に行っても授乳室というのがいかにも男性の視点で作られているなということを感じます。つまり、衛生的にはお手洗いと同じような感覚でトイレのすぐ横に母乳を出すようなところがあるんですが、衛生的にも非常に汚いところもあって、結局は排出物でしかないんだなという、この設計者は男性に違いないなというふうに思うようなところがあります。  そういう意味では、やっぱり使う人が本当に気持ちがいいとか、ここだけはしっかり守ってくださいよというようなリクエストを最初からヒアリングの段階で入れておくというのも大事だなということを痛感をしております。  最後になりますが、先ほどから先生方が統合教育について積極的な御発言をされています。確認なんですが、やはり神本先生がおっしゃったように、統合教育というのは本当に流れとしては歓迎すべきことで、また支援すべきことだと思いますが、そこでやはりしっかりとした、日本社会で生きていくためのサバイバルのスキルというのはしっかりと持っていただく、そのための支援をするというのが私たちの最も大事にしなきゃいけないことなので、そこでやっぱり困るとか、統合教育でやっぱり意地悪をされてというのは、そういう状況を作らないということとともに、その状況では困るというような人たちには選択肢を最後までしっかりと確保しておくことが大事なことだなということを改めて確認させていただいて、発言を終了します。

○神本美恵子君
 今、有村委員の方から確認をということをおっしゃいました。私も原則統合ということで、在籍するところは健常児も障害児も同じ就学指定といって、今教育委員会が就学する学校を指定するんですが、そこに原則籍があって、そしてあとはその子供の特別ニーズに応じて、場合によっては今ある養護学校のようなところを選択していったり、学年が上がってきてまたニーズが変わってくれば原籍校に戻るというような、そういう融通性も含めてやる必要があるというふうに私は思っています。最終的には選択権は本人、保護者にあるというふうにやれたらいいなと。ところが、今の教育制度はそうなっていませんので、そのことを一つ指摘をしました。  先ほど、清水委員の方から、子供のころはたくさん周りにそういう人がいて、障害のある人もいて当たり前の社会だったと、私もそうでした。恐らく、一九七九年に養護学校が義務化されて、それまでは就学猶予ということで、重度の障害がある人たちは学校に行かなくてもいいよという形で学校から排除されていたものが、この義務化によって行く場所ができた、そういう意味では私は前進だと思います。  ただ、それがだれが行くのかということを決めるのが教育委員会が決めるような、先ほど読みましたような学校教育法の施行令になっておりますので、そういった法的な問題もあるというふうに思いますから、ここではやっぱり共生社会を実現していくという意味で、一つは統合原則ということを是非提言として打ち出していく必要があるんではないかというふうに思います。重ねてそのことは申し上げたいと思います。  それからもう一つは、その障害児者の自己決定なり選択権というだけではなくて、先ほど最後にちょっと申しましたように、分離されて教育されている、周りに障害のある人や高齢者を見ない学校や社会になっていることが、そこに住んでいる人たちの成長なり人格形成も不十分なものにしているということを、私は障害者と一緒に生活したり学んだりすることによって改めて自覚させられたという経験があります。  それは、森委員がおっしゃったように、自立というのは健常者に少しでも近づいていく、そのことが発達であり、成長であるというとらえ方ではなくて、障害、様々な障害を持っているということが一つの個性として生きられるような社会になったらいいなというふうに思います。  よく、目が不自由な方や耳が不自由なためにほかの感覚がすごく鋭くて、そのことで能力がすごく伸びたり発揮されたりというふうになって、今背が低いなら低いなりのそういう個性の発揮の仕方とか、様々に、障害あるなしにかかわらず、私たちも個性の発揮の仕方なり能力の発揮の仕方というのは、育つ環境や自分が持って生まれた身体的な条件に合わせて伸びていくというふうに考えれば、障害があるということが一つの個性で生きていけるような社会になったらいいなと。  そのためには、やっぱり障害者は施しを受けて、戦前、戦前じゃない、江戸時代なんかは間引きの対象になったというようなことを障害者の方々からも聞いたことがあります。世の中の役に立たないということで間引きの対象から、生きていてもいいよと、生きていてもいい、それから施しを受ける対象になって、今や同じような人間としての権利を持つというふうに少しずつ少しずつ前進してきているわけですから、そのことをやっぱり教育の場できちんと、健常と言われる子供たちにこそ障害者の権利について学ぶ場が必要だと。  そのためには、そこにいてくれるのが一番いいと思いますので、具体的な事例は以前の委員会でも私紹介させていただきましたので今日はもう言いませんけれども、ともに学ぶということは障害者のためというよりも、いわゆる健常者と言われる私たちのために必要なことであるということを申し上げたいと思います。

○清水嘉与子君
 今の神本先生のお話、誠にそうだと思うんですけれども、やっぱり障害者の自立のお話ともかかわるんですけれども、障害者の方々がともに学んで、そしてそういうチャンスを作るのは当然なんですが、一生生活していらっしゃる中で、どういうふうに収入を得て自分が生活していくかというところにもやっぱり私たちは十分着目していかなきゃいけないと思うんですね。教育を受けるのはもちろん、その教育がまた将来の生活で生きていくということも必要なこと、普通の人はそういうふうな形でいくわけですからね。そういうチャンスにやっぱりつながっていかなきゃいけない。  そういう意味で、私は自立という言葉を使ってもいいんじゃないかというふうに思っているんですけれども、別に一般の人と同じようにしようという話じゃなくて、障害を持ちながらも自分の力で、さっきおっしゃられた施しだけじゃなくて、自分の力でどうやって生活をしていくのかということにもっと私たちチャンスを与えてあげていいんじゃないか。チャンスを与えてあげてというのは言い方悪いですけれども、今は、今余りチャンス与えられないですよね。とにかく、あなたたちは国からこういう補助ですよ、何とかですよというふうな保護を受ける対象になっていて、なかなかそこから一歩突き出ていって自分たちが何かやろうと思うと保護がなくなってしまうとか、いろんな弊害が逆に起きているじゃないですか。だけれども、今、これから考えてみれば、いろんな情報通信や何かの技術を身に付けて、それこそ在宅でいろんな能力を発揮していくなんてことも、もう可能性として一杯出てきていると思うんですよね。  そういう意味で、やっぱり何とか、本当にできる人にはそういう自立のできる道ももっと大きく広げてあげる、チャンスをもっとつかんでもらいたい、そういうことをもっと積極的にやるべきではないかなというふうに思うもので、その自立というものをそんなふうに私はとらえているものですから、それもそれに向けてしていただくのもいいんじゃないかなというふうに思っているところなんですね。  そうはいっても、やはり障害のあることは事実ですから、何かそこをお支えしなきゃならない点も確かにありますから、そこの仕組みはきちんとやりながら、やっぱり一生長い、それこそ長い人生をどう送っていくのか、そこにいろんなまた、普通の人だっていろんなチャンスを、あっち向かったりこっち向かったりしてチャンスを変えながら行くわけですから、そういうことをやっぱりもっと広げてあげたらいいんじゃないかなというふうに思うんですね。小規模作業所でずっと一生そこでじゃなくて、もっと違った意味でいろんなことを自分でも転換できるような、そういうチャンスが与えられる、そしてそれはもう選べる人は選べばいいんだというような、少し冷たいかもしれませんけれども、チャンスだけは与えるというふうなのがやはりいいのではないかなというふうに私は思っているんです。  それからもう一点、この地域生活支援のところでちょっと考えたんですけれども、今、子供の問題もそうです、介護の問題もそうです、老人の問題も、みんな地域が中心になって何かしなきゃいけないという声だけは一杯あるんですけれども、地域社会そのものがもう今、日本で本当に崩壊してしまっているわけですよね。だから、その地域を構築、もう一度しなきゃならないような時期になっていると思うんですけれども、そのときに、子供だ、お年寄りだ、障害者だと、それぞれがじゃなくて、やっぱり全体的に、それこそ縦割りじゃなくて、そういった地域社会作りというものを考えていく必要があるんじゃないかということもちょっとコメントとして申し上げておきたいと思います。

○林紀子君
 今、清水先生のお話を聞いて私もそうだなと思ったんですが、例えば障害者、障害児にとって、それは障害は個性なんだからそのまんまでいいということではないんだと思うんですね。健常児というか子供たちも、やっぱり小さなときからだんだん成長するに従っていろいろな能力を獲得していく、発達をしていくというわけですから、障害児にとっても、健常児と同じになるためにということじゃなくて、その人たちはその人たちの持っているものの中でやはり自分の能力をいかに十分に発揮できるかと、そういう教育というのはどうしても必要だと思うんです。  ITというのが開発されて、今まで障害を持っている方たちはもっとそれで世界が広がるんじゃないかという話も今までいろいろ行って伺ったりしましたよね、ここの調査会でも。だから、そういう意味では、そういう能力というのをそれぞれの障害に応じて身に付けていく。それはやっぱり健常児と全く一緒の場でできる部分もあるし、特別に教育をしなくちゃいけない部分もあるんじゃないかというふうに思うわけですね。  そういうことでは、やはり私は、特に知的障害児というのはゆっくり発達するんだと。発達する、それは人間として同じなんだけれども、ゆっくり発達するんだという話を前、障害児の教育に携わっている先生から聞いて、ああそうなんだと非常にそれは感激をしたんですけれども、そういうことなんじゃないかなというふうに思ったわけです。  あと、教育の問題と同時に、先ほど私も最初に発言をいたしましたけれども、やはり地域で生活をしていく、それが支援費制度なんだということで始まったと思うわけですね。  その支援費制度のホームヘルプサービスというのを受けていろいろ自宅で生活をする人たちもいるわけですけれども、そこのところがどうもやっぱり予算不足だというのをこの前お話を伺ったんですけれども、それと今の介護保険の制度というのを一緒にしてしまうということに対しては、非常に実態に合っていないんじゃないかということを障害を持っている人たち自身がおっしゃっている。  その例というのを私もお聞きしたんですけれども、自宅で生活をしていて、例えば二十四時間の介護が必要な障害者という方もいるわけですね。今、介護保険と一緒になると、それは介護五の認定に、判定になると思うんだけれども、しかしそれでは、五ということになると、サービス単価というのを大幅にオーバーしちゃってその介護保険制度の中の枠にははまり切らないと。それから、今まで自己負担が、収入に応じて払う応能式というのを障害の人たちは、それでお金を払っていたわけだけれども、介護保険制度と一緒になって一割負担で払わなくちゃいけないということになったら、その費用が本当に物すごいことになってしまって、結局地域で生活をしていくということができないんじゃないかということをおっしゃっているわけですね。  ですから、地域で本当に生活ができるようにと始まった支援費制度ですから、介護保険とは一緒にしないで、そして障害の方たちが本当に使いやすくするということを追求していく必要があるんじゃないかなというのをその方のお話伺ってつくづく思ったわけですけれども、かなり今、政府は介護保険制度と一緒だというのを進めようとしているということを聞きましたので、特に今の時期にそのことを声を大きくして言うことは必要なのではないかなと思った次第です。

○会長(狩野安君)
 ありがとうございました。  他にございますか。──他に御発言もないようですので、よろしいですか。では、本日の意見交換はこの程度といたします。  委員各位には、貴重な御意見をいただきまして誠にありがとうございました。本日の御意見も含め、これまでの調査の論点を整理し、各理事とも御相談の上、報告書の取りまとめへ向けて対応してまいりたいと存じます。  本日はこれにて散会いたします。    午後二時十九分散会


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Last-modified: 2008-03-19 (水) 11:38:48 (4496d)